
ボジョレー・ヌーボーの知られざる歴史
ボジョレー・ヌーボーは、地元民の日常酒から始まった
収穫したばかりのガメイ種というぶどうから造られるフレッシュな新酒ワインは、もともと地元民の手軽な日常酒として1800年代頃から愛されてきました。それがのちに『ボジョレー・ヌーボー』と呼ばれるワインになります。
正式に販売され始めたのは?
正式にボジョレー・ヌーボーとしてフランス政府に認められ、販売されることになったのは1951年。それまでは軍隊用ワインの供給を計画的に行うため、ワインの販売は綿密なスケジュールのもとに管理されていました。しかし1951年の春、この方針が廃止となり、全てのワインの販売日は12月15日と決定され、それ以前の販売開始は認められませんでした。
これに不満をもったボジョレーの生産者は、ボジョレーの新酒をもっと早くフレッシュな状態で販売開始したいと要求します。そして、その要求がフランス政府に認められ、正式にボジョレー・ヌーボーの販売が実現することになりました。
地元からフランスの首都パリへ
こうしてボジョレー・ヌーボーはパリに正式に参入し、ボジョレーを広めようとした若いジャーナリスト達の熱意によって、またたく間にパリでビストロのお気に入りワインとして広まっていきました。

ボジョレー・ヌーボー、各国へ旅立つ
その後ボージョレーヌーボーは、パリからフランス語圏のスイス、ベルギーに広まり、その後イギリスへ浸透しました。1974年からは特別委員会が設けられ、試飲によって基準を満たしているかを確かめてから承認するようになり、しっかりとした品質管理もされてきました。
また、フランスから遠い国でも、解禁日にはボジョレー・ヌーボーが届くように輸送網の整備も進み、1980年代にはアメリカ、カナダ、ドイツ、オランダ、オーストラリアへと次々に広まっていきました。
ついにボジョレー・ヌーボーが日本上陸。そしてアジア諸国へ
1985年。昭和も60年に差しかかった頃、ついに日本にもボジョレー・ヌーボーが上陸します。今では、日本はボージョレーヌーボーの第1の輸出国であり消費国となっていますが、この頃はまだ今ほど注目はされていませんでした。そして90年代には、東南アジア(特に韓国、タイ、台湾)にも上陸を果たし、フレッシュでフルーティな味わいがアジア料理ととても相性が良いことから、アジア各国でも注目されるようになりました。
ボジョレーの販売開始日の移り変わり
1967年までボジョレー・ヌーボーの販売開始日はまちまちで、年によって異なっていましたが、1967年に正式に11月19日が販売解禁日と決められました。しかしこの日が土日にあたってしまうと、ワイン運搬業者がお休みになってしまうため、1985年より現在の解禁日である【11月の第3木曜、全世界で0時に一斉に解禁】と変更になりました。